* 12月17日〜21日 鮭が群がり、川を遡るころ *
秋から冬にかけて、川の上流で孵化した小さな鮭の赤ちゃんは、
春になると海へ下り、3年から4年を回遊してすごします。
そして成魚となって、産卵する年齢に達した秋、
一斉に故郷の上流をめざして、さかのぼり始めるのです。
母河回帰と言って、約80%の鮭が故郷に戻ってくるそうです。
(最近は乱獲や汚染等で戻ってくる鮭はわずかです)
この、産卵を控えて脂の乗った鮭は美味で、「秋味(あきあじ)」と呼ばれます。
川を上る前の、河口に近づいてきた辺りがおいしいとのこと。
上流に行くほど味は落ちるそうです。それは、いったん川を遡りはじめると
食物を絶対に摂らないせい。産卵後も雄雌ともに、やはり食物を摂りません。
そのため瀕死の状態で、泳ぐというよりは流れてきて、
体脂肪はたった0.1%ほどに激減し、そのまま死んでいきます。
古来、鮭は冬を越す貴重な食料でした。
特に東日本では「歳取り魚」と言って、年末に食す特別な魚です。
(西日本の歳取り魚はブリ)
お歳暮の品にもよく選ばれますよね。
私の実家では毎年末、一本ものの新巻鮭を取り寄せています。
食卓になじみ深くて、当たり前のようにいつも食べている鮭。
養殖ものも多い近ごろですが、天然ものはたいてい回遊中に捕まり、
産卵できずに私たちの血肉になってくれます。
すごく当たり前のことなのですが、
他の命(または他の生命の死とも言える)を毎日食べているのだ、
ということを時々ふっと、改めて思う時があります。自分で育てた野菜でもなく
捕まえた獲物でもなく、食べやすくなったものを買ったりいただくばかりですから普段は麻痺してしまうのですが、すごいことです。他の生命体の一生を「横取り」して食べちゃう。
特に私は、丸ごとのお魚をさばく時に、よくそれを感じます。
頭や腹に包丁を入れる瞬間いつも、思わず「いただきます」とつぶやく・・。
「オレを食うのか?」と魚の目が聞く(死んだ魚の目は怖い)。
「は、はい。おいしく料理しますから・・」
「じゃ、せめてしっかり食ってくれ!」
みたいなやり取りを、ひとり頭の中で繰り広げながら・・。
変に罪悪感を抱く必要はないと思いますが、「食べて生きている」以上、
「いただきます」は「お命いただきます」ということだと忘れなければ、
たくさんの命に養われている自分の存在を再発見したり、
じゃあ自分に何ができるのかを見つめ直してみたり、ということが
大げさにでなく、自然な感情として湧いてくるのかなと思います。
そういう、とても基本的なことを、鮭の波乱の一生を調べていて、感じました。